2011年6月18日土曜日

編集長のこと


少し遠くで衝撃を受けている声が聞こえた。
何か嫌な知らせだということになんとなく気づいたけれど、自分には関係ない話だろうと思った。
聞こえてないふりをして仕事を続けていた。
震えた声で訃報を聞かされた時、頭を後ろから除夜の鐘を打つように重い棒でゴーンと突かれたような気分だった。

2010年の6月28日に中途採用で今の会社に入社した。
編集者になりたくて出版社を受け続けていたけれど、
結局、今の会社にエディトリアルデザイナーとして入社することになった。
大学でデザインをかじってはいたけれど、雑誌のデザインなんてやったことないし、自慢じゃないがデザインには自信がなかった。(大丈夫か)
仕事は、連載ページのレイアウトからだった。

入社してからチームが変わるまで毎月何かしらのページのレイアウトをしていたライダースクラブ。
編集長の竹田津さんがデザインも重視していて、ある程度誌面の雰囲気をADに委ねていたから、専門雑誌にありがちな内容重視でデザインほどほどという誌面ではなく、伝えたいこととデザインがマッチしいている格好良い雑誌だった。

ある日、ADの本棚にあった佐藤雅彦の『差分』に竹田津さんが喰いついていて「これ、今度貸してよ〜気になってたんだよねー」なんて言っていて、バイク一筋な感じなのに意外だなーと思っていたけど、大学が多摩美術大学だったことをあとから知って、なるほどな、と思った。

竹田津さんとは、ほとんど電話でのやり取りで、顔を合わせたことは数回しかないし、こんなにたくさんデザイナーがいる中で、果たしてわたしの顔と名前が一致しているのか謎なとこだ。
でも、修正の連絡で「このページ、スペックいれなきゃなんないだよね〜、これ気に入ってるからあんまり変えたくネンダよなー、どうしよ?」みたいなことを言ってもらえると、ちーーっともうまくいかなくて、さんざんADに直し入れられて、ようやくなげたページだったとしても、ふっと心が軽くなってデザインもっとがんばろと思うのだった。

3月11日に東日本大震災がおきて、ほんとに恐い思いをして会社なんか行きたくないやい!と思ったけれど、竹田津さんが編集していたホンダの本 を進めなければならないということで翌日も出社して余震に怯えながら作業をした。
構想10年というこの本の出来上がりをみたら立派に仕上がっていて、まさか、地震こえーし、さっさと片付けて帰ろ、なんていうみんなの思いなんか微塵もなかったようだ。(まさかまさか、ないだろう)


大きな声でよく笑うもんだから、いるとすぐわかる。
「これ、金曜中なんだよねーはっはっはっ!」。
やー、と思いながら、あの笑い声に救われていた。
元気が出るし何とかなる気がする。(というか何とかしなければならない)
去年の8月、みんなが夏休みで他の媒体も重なっていたこともあって、わたしを含めた新人の2名とADと徹夜をした。朝方へろへろで内線をかけたら「はい、竹田津ですー!」と、声、割れてんじゃないかと思うくらいのボリュームで電話に出たから、思わず笑ってしまった。元気すぎだろう。

竹田津さんは、生命力ありそうだよねー。

なんて周りとも話していたから、事故で亡くなったと聞いた時、ほんとうに驚いて言葉を失った。

6月からチームが変わったから、ライダースクラブの仕事をすることは当分ない。
何だか、寂しいなと思っていたけれど、まあ、辞めるわけでもないし、また何かで一緒に仕事するかもなと思ってたら、もうそれすら叶わなくなってしまった。
あの元気の出る笑い声も聞くことはない。

もうすぐ、ライダースクラブの最新号が出る。

そうだ!今までやり取りしたラフとか修正指示とか直筆のものを取っておこう、と思って整理して気づいたけど、あらやだ、わたし、キレイさっぱり全て捨ててたわ。

だって、まさかいなくなるなんて思いもよらないもの。

だから、いつか会うことがあったら「何、急にいなくなってんすか!」と言おうと思っている。

2010年9月25日土曜日

フィンランド旅行紀③


超低血圧人間のため早起きは困難かと思われたが。タイムイズマネー。お金が、絡めば人は変わります。毎日を自然教室並みの起床時間で挑む。


朝7時には起きて、朝食を作る。言ってみれば、切って、はさんで、ボイルしただけ。でも、うまい。いや、フィンランドの野菜とパンがうまいのだ。生ハムもいい感じの塩加減。

腹ごしらえもほどほどに、ホテルを出る。旅もまだ前半戦と言えど、予定は詰まっているので、足早に中心地へ。引き寄せられるように、カウパットリ・マーケットへ。


天気も良くて野菜や果物がキラキラしていて、ついつい手が。


ここで買ったイチゴは、スーパーのイチゴより高いけれど断然甘くておいしい。


マーケットがある場所の近くにヘルシンキ大聖堂があって、その前には石畳の元老院広場がある。


おしゃれフィンランドっ子たちの仲間入りのつもりか、こちらの階段にてマーケットで買ったイチゴを食べる。


ヨーロッパの聖堂って、そりゃもうゴリゴリのゴシック建築で、天井には期待を裏切ることなく宗教画が描かれていて、生気を吸い取られるだけ吸い取られて聖堂を後にする、みたいなことが頻繁だったのだけど。
フィンランド大聖堂のこのシンプルっさたら。このあっさりした感じが、逆に人々に安らぎを与えてくれているような気がする。

ここらでお腹が減ったので、アカデミア書店内にあるカフェアアルトへランチをしに。

かもめ食堂で、サチエさんとミドリが出会った場所。われわれは、ガッチャマンの歌を唄うでもなくサラダランチをオーダー。


これで、10ユーロとは…。う〜ん。新鮮な野菜!

椅子や机、照明もアアルト設計。もちろんアカデミア書店内も。
昼間は、自然光が本を照らす。
ソファもあって、時間あれば居座ってしまいそう。でも、まだまだ行く場所は盛りだくさん。本を一冊も開かず次なる場所へ。

午後からも、ずんずん市内を歩く。その姿はまるで百鬼夜行。(※凡人2名)
一日すら一回にまとめられない編集力に乾杯!
それでは、またお会いしましょう。

2010年9月21日火曜日

フィンランド旅行紀②




機内でたまたま居合わせたお医者さまに「上空では、アルコールは地上の3倍になるのだから、お酒は控えるように。そして、水をたくさん取りなさい」(英語)と注意を受け、ひたすら水を飲み続けた4時間。不安で、全く眠れず。ヒューグラントのラブコメ映画まで観てしまう始末。
フィンランドに到着した時には、上空からの解放に安堵し、初の北欧上陸に興奮という、自分で自分が掴めないテンションになっていた。


ヘルシンキ空港からヘルシンキ中央駅へバスで向かう。冬は、極寒だからか、駅にドアがついていて新鮮。
ヘルシンキ中央駅は、各都市への長距離列車が出発する駅のようで、かなり立派な作りで広い。天井高もあるし、外観は、聖堂!?という趣き。

ひとまず、ホテルへ荷物を置きに行く。


当初は、妹がひとり旅をする予定だったので、ホテルはユース。キッチン付きのシングルを取っていたところを、ダブルに変更。

日本との時差は-6時間、加えてこの時期は白夜なので、フィンランドに到着した日は、日本時間ならばとっくに夜だけどまだまだ明るい。荷物を置いて、翌日の朝食の材料などをスーパーで調達。そして、夕飯を食べに行く。


まあ、初日だし、今晩は適当なところに入って済まそうと入ったつもりが、それなりにおいしく、良い感じのお店で焦る。寝不足が続いている上に、具合を崩していたので(自業自得)完食できず、残して出てきてしまう。うう、もったいない!

一日、一日を振り返る度に、その時の気持ちを思い出す。まだまだ、記憶は新鮮!
次回、乞うご期待!

2010年9月20日月曜日

フィンランド旅行記①

この2ヶ月間、ずっとやりたかったこと。
それは、今年の6月22〜27日までのフィンランド旅行紀をアップすること。
ようやく、眠気眼さながら実行。なぜなら、今しかないだろう!?から。

フィンランド。
格差を作らない教育制度に、手厚い社会保障、高度な福祉社会、限られた資源を有効に活用する技術を持った国などと、日本人としてもフィンランドから学ぶところは多く、私も少しでも日本の社会のためにと思ってこの旅を決めたんです。

なんて立派な理由はもちろん胸の内になく、「まあ、なんとなく次は北欧じゃね?」という思いつきにより、せこせこと北欧の本を集めだして1~2年ほど経った頃。
わたしの座右の銘「思い立ったが吉日」(注:今決めた)のタイミングにより北欧はフィンランド旅行決定。
期限切れしていたパスポートを旅立ちの日2週間前になんとか申請を終え、いざ出発!と思いきや、やれスーツケースがねえ!(妹同伴のため)やら、おや、あんだ〜ウェアがねえ!やら、あ、SDカード1G一枚か。あ、ホテルホテル!とかやることいっぱい。

でも、行くと決めたら絶対行く!という四角い頭の私は、目を覆いたくなるほどの不器用な旅支度進行で当日を迎えるのであります。

機内で調子に乗って、フィンランドビールを2缶飲んだら、地上では経験したことがないほど脈が上がり、びっくりしてフィンランド人と思われるCAに、日本語で「気分が悪い」と報告。(馬鹿)ちょとした騒ぎになっていたことを席が離れていた妹は知らない。

さて、次回は「フィンランドにようやく着きました!」の巻をお送りしたいと思います。(もう眠いから寝ます。ので)


2010年5月4日火曜日

告白

ゴールデンウィークが眩しすぎる。晴天が続いていて、外に出られずにはいられない。
5日のうち3日は、少し外の空気を吸おうと外出をした。
でも、やっぱりこの本のことを書く。久しぶりに、衝撃的だから。
湊かなえの『告白』。2009年度の本屋大賞を受賞して以来ずっと気になっていた。
文庫化されたものを妹が買ってきたので拝借。
正味2日の一気読み。
ミステリーやサスペンスとは少し違う。主軸は、謎解きではなく、さまざまな登場人物の視点から語られる心情。犯罪を犯す動機を知れば知るほど胸が苦しくなる。彼らは皆、純粋な気持ちを持っているはずなのに、少しずつ不器用で結果的に犯罪を犯すことになる。
人の倫理観なんて信用できたものでもないし、そもそも何を持って倫理的というのか。
どこから、やり直せばこんなことにはならなかったんだろう。
投げやりな言い方になるけれど、私は、どんなに頑張っても、その人にはなれないし、人の身になってといっても限界がある。
悲しいけれど、これが事実なんだな。
文章の構成もお見事。
いやあ、感服。映画も気になるところです。



2010年3月13日土曜日

メモ


宮崎あおいとリバティとブルーハーツ。
久しぶりにお気に入りのCM。

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ビートたけしが、
「楽しいことしてそれが仕事になってお金貰えるなんてこんな贅沢なことはない」
と言っていた。
ほんと。それまでの苦労も大変なものなのだろうけれど。
ひとまず、いまはがんばりどきダネ。

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っぱらネットばかりでテレビをあまり見ないけれど、
『ブラタモリ』、  『空から日本をみてみよう』、 『天空散歩』はおもしろい。
ブラタモリの再放送願います。
テレ東は昔から好きだけど、NHKもあなどれない。


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さあ、やるか。



2010年1月27日水曜日

書き留めないのももったいないので。



寒中見舞い申し上げます。
いまさらだが、1月5日に誕生日を迎え27歳になった。
年始の5日というのは、正月も抜けきらない中途半端な日なので、誰もが忘れやすく祝いにくい日である。本人すら忘れていたりするというのは若干嘘で、大目にみても俄然忘れ。
祝うことは大好きだけれど、祝われると照れちゃってしょうがないものだから、何もない方がこちらとしては好都合である。というのは強がりで、そんなものは祝われて嬉しいに決まってるのだ。
年を重ねるごとに、いろんなことを素直に受け止められるようになったと思う。のだけど、まだまだですか。そうですか。